【御礼】当会のブログアクセス数が100万回を突破!  オンブズマン活動

■当会のブログは2021年2月24日午後8時43分29秒、アクセス数が100万回に達しました。履歴をご覧いただくとお分かりのとおり、最初の記事の掲載日は2007年2月16日でした。
 筆者が電子メールを使い始めたのは、1998年8月からサウジアラビアに滞在していた時からでした。その3年前、1995年1月17日の阪神淡路大震災や同年3月20日の地下鉄サリン事件で世相が騒然としていた最中、1995年5月18日に安中市土地開発公社で密かに発覚した事件は、同年6月3日に地元紙に初めて10億円規模の詐欺事件として報じられました。ところがたちまち51億円を超える地方自治体では史上空前の巨額横領事件として連日マスコミが報道することとなりました。
クリックすると元のサイズで表示します
筆者の人生の転機となった1995年6月3日付け上毛新聞社会面記事。安中市で同年3月末まで都市計画課に所属し市土地開発公社の業務を担当していた職員が、公社の事業費用を金融機関から借り受ける際、金銭借入書を改ざんし懲戒免職になっていたことが、同年6月2日明らかになった。事件発覚後、県警は詐欺、公文書偽造、同行使の容疑で元安中市職員=当時(43)=を逮捕。元職員は公社の事業費用を金融機関から借り受ける際に公文書を偽造して金額を上乗せしていた。不正流用は総額51億円に上り、元職員には懲役14年の実刑判決が下った。事件から3年後、市と公社が銀行に24億5000万円を支払う和解が成立した。出典:上毛新聞ライブラリー https://jomo-news.co.jp/playback/data/?p=20180603


 筆者は当時、ちょうど設立を間近に控えた市民オンブズマン群馬の発起人の一人でしたが、この巨額横領事件で、急遽地元で立ち上げられた事件の真相究明のための市民団体「市政をただす安中市民の会」の関係者に声を掛けられ、事務局の一員として参加することになりました。

 そして、激動の5ヶ月間が経過し、当時の現職市長が群銀から巨額横領金として消えた借入金の返済を迫る民事訴訟が提起されたことを契機に市長の椅子を投げ出したため、1995年11月12日公示の出直し市長選に筆者が市民団体をバックに出馬しましたが、半年前の県議選で落選した人物が、4名で争われた選挙を制し、筆者は次点に終わりました。

 落選のショックがまだ癒えない中で、1996年1月に事件の真相究明と責任の所在明確化、再発防止のための活動をさらに進めるべく、市民団体を改組して「市政をひらく安中市民の会」を立ち上げ、筆者が事務局長を仰せつかりました。

 さらに市民オンブズマン群馬も1995年8月31日に正式発足し、全国的な行政情報公開のうねりのなか、官官接待、水増し出張、裏金問題にとりくみ、大きな成果を挙げました。この勢いで、筆者も安中市に情報公開条例制定を促すための直接請求などに取り組みました。

 そして史上空前の巨額横領事件の追及はその後も最優先で取り組み、歴代の安中市土地開発公社の理事や単独犯とされた元職員を相手取り、損害賠償請求など、行政関係者らを相手取り合計5つの民事訴訟を提起しました。

 筆者は、仕事のかたわら地元でこの巨額横領事件追及のための活動をしていましたが、選挙戦に出馬したことから、勤務先も公開されたため、1997年末頃、当時の勤務先である東京築地の大手造船会社の本社社長室に、自民党群馬県連幹部から電話で「お宅の社員(筆者のこと)を国内で活動できないようにしろ」と申し入れがありました。

 このエピソードは後で筆者の同僚で国内営業担当をしていた人物から聞いたのですが、当時、勤務先では、群馬県庁が導入を検討していた機械式駐車システムの売り込みをしていました。もともと海なし県の群馬県には造船案件など無縁ですが、国内の官公庁向け案件では、当然、自民党の影響力は甚大であり、官公庁営業への影響を懸念した勤務先が、自民党群馬県連の申入れを無視できなかったことは明らかでした。

 そのため、1998年3月に当時アフリカのウガンダでビクトリア湖の水草回収作業船の実証試験をするために1月中旬から現地にいた筆者に、2月のある日、「海外プロジェクト要員として4月から岡山県玉野市にある事業所へ転勤」という辞令が連絡されてきました。そして5ヵ月後の1998年8月からサウジアラビアの紅海沿岸にある工業都市ヤンブーの海水淡水化プラント建設プロジェクトでコミッショニング・エンジニアとして2000年4月まで派遣され滞在していました。

クリックすると元のサイズで表示します
筆者が造成から試運転まで関与したヤンブーのRoyal Commission(王立委員会)造水プラント。手前の三菱重工製のボイラーから排出された余剰蒸気を利用して超大型の多段フラッシュ型造水機がならぶ。筆者が担当したのは、左奥から3番目と4番目のプラント。

 しかし、当時、電子メールは、現場でデジカメを使ってこっそり撮影したプラントの溶接部の拡大写真を、サウジ人に見つからないように現場事務所から工事記録として日本に数回送ったことがある程度で、毎週の業務進捗報告はパソコンに打ち込み、プリントアウトしたものをFAXで日本に送っていました。あわせて、当時、市政をひらく安中市民の会が毎月日本の地元安中で発行していた安中市民通信「まど」の原稿の送付や当会編集者らとのやりとりもすべてFAXを使っていました。
●2018年9月12日:タゴ事件発覚から23周年・・・地方自治体史上最高額の横領事件に安中市民はどう対処したか(まどの歩み)
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2753.html

 サウジアラビアのヤンブーでは隣接する火力発電所のボイラーの余剰蒸気を利用した多段フラッシュ方式の海水淡水化プラントの造成工事から完成まで携わりました。この方式の造水装置としては当時世界最大級の設備でしたが、完成後も保証技師として10年程度現地滞在するよう派遣元から筆者に指示が出ていました。そのため、極暑と土漠と砂嵐の中、サウジの地に埋もれることも覚悟していた矢先に、まさかの出来事が勃発したのでした。

 それは、筆者が、プラントの試運転を終えて、2回目の安中市長選に挑戦する為、1999年11月に2週間ほど休暇を取って一時帰国をし、今度は1対1での勝負でしたが、またもや次点で落選に終わり、サウジアラビアに戻ったあとのことでした。実は、年2回の次の休暇で、あと10年サウジに居残るのだから、命の洗濯をしようとこの時ばかりは帰国せずに、あこがれだったスペインに行こうと思い、イタリアからスペインへと移動する休暇プランを練り上げました。ところが、台湾出身の妻の妹がドイツ系スイス人と結婚したが、まだ台湾の親族が誰も相手方の親族に挨拶していない、というので、この機会に筆者がファミリー一族を代表してスイスに行くように指示があったので、急遽スペインを泣く泣く諦め、イタリアのミラノからアルプスを越えてスイスのチューリッヒに行きました。スイスでの1週間は、土漠と砂嵐のサウジとは全くの別世界で、これであと10年間サウジで頑張ろうと決心してサウジに戻った直後でした。

 2000年初頭にスペインのマドリードにあるコンテナクレーンの現地法人で、総務部長による日本円換算で17億円に上る横領事件が発覚し、その立て直しのため、スペイン語の理解できる人材ということで、急遽、筆者は副社長の肩書で転勤を命ぜられて、スペインに赴任することになったのでした。灼熱のサウジアラビアから、情熱の国へのシフトは、日本には戻れませんでしたが、まさに干天に慈雨でした。

クリックすると元のサイズで表示します
筆者が2000年5月から2002年7月まで勤務していたスペイン首都マドリードのアルベルト・アスコセール通りに面したオフィスビル。この4階にパセコ・エスパーニャ社の本社があった。同社はその後、ビルバオに本社をもつ鉄鋼会社URSSA社傘下の子会社となったが2018年8月に事業を停止した。写真は後年2006年9月にマドリードを再訪した際に撮影したもの。

クリックすると元のサイズで表示します
当時、毎朝晩通勤で利用していた最寄りの地下鉄コロンビア駅。内部に巨大な黄色の飛行機の骨組みがあり、マドリードにおける地下鉄駅の巨大装飾の先駆け的となった。ここから国際空港まで直行できるので便利だった。

クリックすると元のサイズで表示します
筆者が当時使っていた名刺。

 その後、2000年5月から2年2か月ほどスペインに滞在した際には、公私ともに電子メールを日常茶飯事的に活用していました。しかし部下からスペイン語の膨大な分量の文書がメールで送られてくることが珍しくなく、目を通しているうちにお昼になることもしばしばでした。なお、スペイン滞在中もずっと、市民団体「市政をひらく安中市民の会」の安中市民通信「まど」の発行は続けていました。

クリックすると元のサイズで表示します
筆者が2003年後半から現地に赴いて建設工事に従事する予定だったインドネシアのスマラン郊外にある石炭火力発電所第2号機。このあと2017年から開始された5・6号機の建設でコントラクターが1510億円の巨額損失を計上し海外工事から撤退。

 2002年7月に4年ぶりに帰国したら、今度はインドネシア向け石炭火力発電所建設プロジェクトの要員として、現地工事前の準備で、1年ほど日本に滞在していました。日本に久しぶりに戻り、市民オンブズマン群馬の例会に顔を出したところ、代表がたまたま空席になっていたため、事務局から筆者に代表を引き受けてほしいという要請がありました。また、インドネシアに行ってしまうことになっていたため、固辞しましたが、名義だけでも構わないのでお願いしたいとの会員の皆様に声に押され、また、インドネシア行きのはずが、急転直下、アゼルバイジャンのバクーで、JETROによる現地Azneftkimyamash社の石油掘削装置の品質改善プロジェクトに従事することになり、現地と日本を行ったり来たりするため、ある程度オンブズマン活動もフォローできることになったのも、追い風でした。

クリックすると元のサイズで表示します
バクー郊外にあるゾロアスター(拝火)教寺院。

クリックすると元のサイズで表示します
筆者がバクーで長期宿泊していたアスコット・ホテルは現在でも営業中。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
ゴブスタンの先史遺跡。↑


クリックすると元のサイズで表示します
ゴブスタンにあるもう一つの奇怪な景観を呈する泥火山群。地下から噴き出す天然ガスにより、マグマがたぎるかのごとく、泥がボコボコッと噴出する様子は、あの人気番組「イッテQ!」のロケにも使われた。

 そして、2003年10月から2005年3月にかけて足掛け1年半に亘り、アゼルバイジャンと日本を6往復しましたが、1年半のうちの半分以上、現地のバクーに滞在していた際に、日本とのやりとりに電子メールを使用するとき、当時ダイアルアップサービスを提供していたAOLを使い始めました。そのAOLはホームページのサービスもしていたので、市民団体「市政をひらく安中市民の会」のHPも立ち上げました。当時のURLはhttp://hometown.aol.com/ogawakenpg でした。

 当時、次第に読者の高齢化等により安中市民通信「まど」の発行部数が減少してきたため、広報手段として、ハードコピー方式での効率に疑問が呈されたため、2006年から当時はやってきたAOLのホームページ方式に移行しました。さらに、2007年からは、AOLがホームページを閉鎖して、ブログサービス「AOLダイアリー」が開始されたため、記事更新が面倒なHPに代わって、日記形式で次々に記事が書き足せるブログ形式による広報手段に移行することにしました。

 ところが、すこしずつブログ操作に慣れてきたころ、突然AOLが2009年1月末日でブログサービスを終了すると宣告してきたため、2008年12月末までにAOLの提携先だった「AutoPage」のブログサービスに移動しました。以来、当会ではこのブログをもっぱら維持しております。

 また、AOLでは2009年2月末日を以って、国内ダイヤルアップサービスと海外ローミングサービスも打ち切りました。この結果、AOLメールサービスは無料になったものの、前述のとおり、ブログサービス「AOLダイアリー」は、GMOティーカップ・コミュニケーションが運営するブログサービス「AutoPage」に移行しました。それに伴い、それまで2年間で3万回ほどあったアクセスカウントはリセットされてゼロになりました。

 それから現在までの12年2カ月間で、当会のブログアクセス数100万回を達成することができました。単純計算で1日当たり平均225回のアクセスを頂いた勘定になります。これもひとえに読者の皆様のご支援の賜物であり、この場をお借りして厚く御礼申し上げますとともに、引き続き、次の目標である200万回に向けて精進を重ねて参ることをここにお誓い申し上げます。

 読者の皆様におかれましても、引き続き当会のブログご愛読いただき、当会の活動にご注目くださるよう宜しくお願い致します。

 2021年2月24日

  市政をひらく安中市民の会 事務局長
  市民オンブズマン群馬 代表
  群馬県台湾総会 書記
  小川 賢
6



2021/2/28  10:33

投稿者:ひらく会情報部

>>「オンブズマン渋川・リットン調査団」さんへ
 平素より当会渋川支部としてご活動ならびにご支援賜り厚く御礼申し上げます。
 この度のアクセス100万回突破に際しまして、温かい激励のご祝辞を頂戴しました。引き続き、県内の行政絡みの不祥事の再発防止を目指してともに歩んでまいりたいと存じますので、倍旧のご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

  市民オンブズマン群馬事務局より

2021/2/26  10:12

投稿者:オンブズマン渋川・リットン調査団

祝:100万回突破!おめでとうございます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ