2009/12/10  23:37

秘密のヴェールに包まれていた閉鎖都市ウラジオストク・・・現在の実態(その4)  国内外からのトピックス

■ウラジオストクの市民は殆ど高層アパートに住んでいますが、これらのアパート群は、街の中心部から少し離れた場所に、ソ連時代から次々に建てられてきました。それぞれの年代で少しずつ違った設計なので、市民は、高層アパートを見れば建築年代がわかるそうです。

 ソ連崩壊後18年が経過しましたが、この過程で所得格差が生じ、裕福な人たちは、郊外の一戸建てに住んでいるか、街の中央部に居住しています。

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市内から50キロ離れたウラジオ空港に向かう途中に見える一戸建て。ただし、これはどうやらダーチャと呼ばれる別荘らしい。91年のソ連崩壊後、ウラジオ市民も競って別荘での農園作業がブームになったが、最近は耕作放棄状態のダーチャが増えたという。


■平均的な一人当たりの所得は、日本と比べるとかなり少ないという話ですが、電気やガス、水道などの光熱費や、税金などはかなり安く、可処分所得で比較すると、日本とあまり差がなくなります。事実、物価は日本と比べても遜色がありません。

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国営デパートとして有名なグム百貨店の内部。装飾品、衣料品、スポーツ用品、楽器、日用品など売っているが、いわゆる日本のデパ地下のような食料品売り場はない。

 昨年秋のリーマンショックに端を発した世界経済の減速の影響は、この成長著しいウラジオストクにも影を落としています。街のレストランも経済ショック前は賑わっていましたが、現在は閑古鳥状態です。日本からの観光客も激減し、今年の夏はほとんどゼロ状態だったそうです。実際、新潟空港からハバロフスクに向かった飛行機も搭乗率は半分以下でした。

■ウラジオストクの歴史は多様です。帝政ロシア時代、沿海州は19世紀まで清国の支配地域で満州の一部でしたが、1860年に北京条約によって沿海州一帯が、清からロシア帝国のものとなりました。同年、最初の26名の部隊が沿海州の南部に上陸して、ウラジオストクの町の建設が始まりました。

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右側に見える先のとがったモニュメントが初上陸の記念碑。ここからウラジオストクの歴史が始まった。その向こうには、ロシア太平洋艦隊のフリゲート艦が係留されている。閉鎖都市時代は、カメラなど到底向けられなかったが、今では自由に撮影できる。

 この後20年間、タックスヘブン(不課税特権)が与えられていたため、ウラジオストクには多くの外国人がビジネスを求めて集まり、目覚ましく発展しました。当時、日本人だけでも1万人近く居住していたそうです。ちなみに、26名が初上陸してから150年後の来年には、大きな記念式典が開催されるそうです。

 帝政ロシアが悲願としていた極東での不凍港として、ウラジオストクにはロシア帝国海軍バルト艦隊太平洋戦隊の分遣隊が設置され、後に強化されてウラジオストク巡洋艦隊となりました。その後、ソ連時代には、ロシア太平洋艦隊の司令部と基地が置かれ、現在も軍艦が停泊しています。ただし、原子力潜水艦の基地の場所は今でも軍事機密だとか。

【ひらく会海外取材班・この項つづく】
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