2010/1/17  9:58

小寺弘之前知事を参院選で担がざるを得ない民主党と群馬県政のかかえる魑魅魍魎  政治とカネ

■1月12日の民主党のホームページに次の記事がトップニュースとして掲載されました。いよいよ、群馬県政の特別な事情により、我々有権者が思ってもみないような政治ドラマがこれから展開されそうな予感です。


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小沢幹事長、小寺前群馬県知事の参院選比例代表出馬を正式発表
 小沢一郎幹事長は12日午後、群馬県高崎市で小寺弘之・前群馬県知事と会談し、党群馬県連役員との懇談などを経て記者会見に揃って臨み、来る参議院選挙の比例代表に民主党公認としての立候補を要請し、快諾を得たと発表した。
 会見は群馬県連代表代行の中島政希衆院議員の司会進行で進められ、同県連代表の富岡由紀夫参院議員のほか、宮崎岳志(同県第1区)、石関貴史(同2区)、柿沼正明(同3区)、三宅雪子(同4区)各衆院議員らが同席した。
 会見で小沢幹事長は、かねてより県連および石井一選挙対策委員長から立候補要請を行っていたと経緯を明かしたうえで、「本日改めて私から、ぜひ群馬県のために、そして民主党の政権と『国民の生活が第一。』の政治行政を実現するために、戦列に同志として加わっていただきたい、ぜひ立候補の決断をとお願いしたところ、快くお引き受けいただいた」と表明。「県連はもちろんのこと、私ども民主党としても、また民主党政権としても非常に心強い味方を得ることができたと喜んでいる」と語った。
 そのうえで小沢幹事長は、昨年の衆院選において、国民の皆様から政権を任せていただいたが、国民の皆さんのためにという気持ちは全員が強くもって力を尽くしているが、現実の政治行政を担った経験があるものは少ないというのが偽らざる現状だと指摘。その点において豊富な知識と経験、ノウハウ、そして、群馬県で直接県民みなさんと意見交換し、人間関係を作り上げてこられた、その両方の知識と経験をもっておられる存在だと小寺前知事を改めて紹介。「そういう方なので、県民みなさんのご理解とご支持を得て、政権与党の有力な、そして指導的な役割を国会において果たしていただきたいと心から期待したい」とエールを送った。同時に、「群馬県連、本部においても重要な候補者として、できる限りの支援の体制を組みたいと考えている」と、支援体制を強化する考えを示した。
 小寺前知事は「昨年12月8日、群馬県選出の民主党国会議員の皆さんから全員一致でこの夏の参議院選挙の比例に出馬するよう要請を受け、その後、石井選対委員長からも同様の熱い要請があり、年末年始熟慮し、そして今日、決断するに至った」と述べた。
 さらに続けて「今日はわざわざ党本部から小沢幹事長がお越しになり、3度目の私に対する出馬要請があり、直接幹事長にお目にかかり、その真意を再確認し、群馬県のために、日本のためにお役に立つならばと決意を固め、その瞬間に小沢幹事長に対して出馬をお引き受けしますと申し上げた」と語った。「いま日本は大きな政治的な転換期にあり、そのために私にできることがあるかどうかを真剣に考えてきた。(そして)地方の声を、国政に反映していくのが大事なことであると思い、出馬する決意をした」と語った。
 会見ではまた、富岡県連代表も交えて、小沢幹事長、小寺前知事と3人で熱い握手を交わした。
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■昨年8月の衆院選で民主党が政権政党となりましたが、依然として、自民党が権力を掌握している群馬県では、捻じれ現象を呈しています。

 霞が関の自治省(現在の総務省)官僚だった小寺弘之は、自民党の中曽根康弘元首相の眼鏡にかない、入省わずか5年後の1968年、27歳のときに群馬県庁に出向し、その後、医務課長、企画課長、財政課長、秘書課長を歴任し、10年後、37歳で早くも総務部長に抜擢され、1982年10月、42歳で副知事に就任し、1991年7月28日に、51歳で群馬県知事に当選しました。以降4期にわたり、県政に君臨し、八ッ場ダムをはじめ、昆虫の森などのハコモノなど、巨額の無駄な公共投資に邁進し、自民党の利権に大きく貢献してきました。また、海外視察や映画製作など、公費を浪費し、県政を私物化してきたことでも知られています。

 ところが、小寺弘之の後ろ盾である自民党の重鎮の中曽根康弘が、高齢にもかかわらずリタイヤしないため、後継者である息子の中曽根弘文のうだつがあがらないまま、1990年2月に中曽根派会長の座を渡辺美智雄に移譲しました。そして1996年7月、自民党総裁裁定で比例北関東ブロックの終身1位に祭り上げられ、さらに、翌1997年(平成9年)4月29日に大勲位菊花大綬章を受章するに至り、自民党の飾り物的な存在にさせられていったのです。

 一方、ライバルの福田派は、いち早く福田赳夫の息子の福田康夫に世襲させ、衆院選で当選を重ねるうちに、6年ごとの参院選に甘んじている中曽根弘文に差をつけ、福田派が県政でも中曽根派を圧倒するようになるのは必然でした。

■その後、中曽根康弘は、2000年(平成12)年、衆院比例区で20回目の当選を果たしましたが、2003年10月23日に、当時の小泉純一郎首相から73歳定年制を根拠に引退を要請され、同年10月27日に比例代表名簿から外されたため、メンツにこだわった中曽根康弘は、衆院選に出馬せず引退を表明したのでした。

 これと並行するように中曽根派は、群馬県政でも福田派の勢いにおされ、小渕派にも脅かされるようになり、ついに2006年、群馬県議会に君臨した二大派閥は、中曽根派が福田派に吸収される形で一本化され、長年の対立は終結を迎えたかに見えました。この動きを決定づけたのには、参議院選挙で、群馬県が2議席から1議席に減らされたことが最大の背景要因だとされています。

■こうして、福田派に吸収された形の中曽根派としては、群馬県知事の小寺弘之が派閥の象徴でした。そして、小寺弘之は2007年7月に5期目を目指して知事選に挑戦したのでした。しかし、この時、初めて衆議院議員の福田康夫に近いグループが対立候補を擁立し、結果的に、福田派で当時県議会議長だった大澤正明が勝利しました。

 小寺弘之を群馬県政のトップに育て上げた元総理の中曽根康弘が率いる中曽根派としては、面白いはずがありません。もともと中曽根派に担がれた小寺弘之は福田派と距離がありました。その溝が一層深まったのは4選を目指す前からでした。

■2003年7月の4期目をめざす知事選に際して、小寺弘之は、福田派の当時の重鎮だった松沢睦県議と当時の自民党県連会長だった笹川尭から、推薦を受ける条件として、当時の高山昇副知事の続投などを突きつけられましたが、それを突っぱねたのでした。

 それでも、結局、自民党県連の推薦が得られた小寺弘之は4選を果たしました。そして自分と同じく自治省(現総務省)の官僚出身で、県の出納長だった後藤新(現県議、民主党系のリベラル群馬に所属)を副知事に昇格しようとする人事案を議会に提出したのです。ところが、福田派の反対により、県議会で否決されたため、知事の小寺弘之と県議会の主流の福田派との対立は決定的になっていきました。

■福田派と中曽根派のせめぎ合いは、さらに尾を引きます。2008年2月17日の前橋市長選では、中曽根派の現職で元県議会議長だった高木政夫が、福田派の支援する金子泰造を破って再選しました。

 金子泰造は、中曽根派に属しながらも、県政の福中一本化の立役者となり、自民党県連幹事長になった人物だったため、同市長選は「知事選の揺り戻し」と言われました。

■群馬県では「福中対立」といわれる因縁の対立は、さらに、昨年8月の衆議院選で、激化しました。そのため、福中の対立により、旧中曽根派のなかには、民主党支持に相当数まわる動きがありました。県都前橋市を擁する群馬1区では、前橋市長選の影響を反映して、民主党の宮崎岳志が12893票を獲得して、自民党の尾身幸次に1万3千票近い大差をつけて当選したのです。

■群馬2区では、民主党の石関貴史が114622票で、自民党の笹川尭に2万4千票近い大差をつけて当選しました。この背景として、旧2区の自民党の旧長谷川派の存在があります。1967年から86年まで19年間、自民党県連会長を務めて、福中の接着剤と呼ばれていた長谷川四郎(故人)が最後に挑んだ1983年の総選挙で、田中・中曽根が笹川を擁立しましたが、結果は長谷川が勝ちました。

 その後、笹川は田中派として福中から距離を置いています。しかし、旧長谷川派には笹川への遺恨が残っていて、2005年9月11日の衆院選でも笹川の対抗馬だった民主の石関貴史に相当数の票が流れており、昨年の衆院選の伏線になりました。この流れは群馬3区でも同様で、民主党の柿沼正明が109173票で、自民党の谷津義男に約2万票の大差で当選しました。

■自民党元総理の福田康夫の牙城である群馬4区では、当初、民主党幹部の中島政希が逸早く出馬を表明していましたが、民主党群馬県連の内部抗争のためゴタゴタしていたところ、衆院選間際になり、急遽、中央から落下傘候補として小沢ガールズの三宅雪子が民主党公認となり、中島政希は比例区にまわることになりました。

 極めて短期間の選挙運動期間でしたが、民主党の三宅雪子が91904票を獲得し、自民党の福田康夫の103852票に、わずか1万2千票たらずまで肉薄したことは記憶に新しいところです。福田康夫の心胆を寒からしめた原因として、中曽根派の票がかなり民主党に流れたことは容易に想像がつきます。

■群馬5区では、旧3区時代に福田と中曽根のビルの谷間のラーメン屋を自称していた小渕恵三(故人)元首相の次女の小渕優子が、独占的な地盤、看板、カバンを築いており、全体の4分の3近い152708票を獲得しました。

■こうして2勝3敗と民主党に敗れた結果、党総務会長だった笹川尭や、元財務相の尾身幸次、元農水相の谷津義男が落選した自民党群馬県連は、2009年11月上旬、落選で会長を辞任した笹川尭の後任に、中曽根弘文を選出しました。この人事をめぐり、前会長の笹川尭はそれまでの慣例により、比例区で当選した佐田玄一郎を後任に推しましたが、国会議員主導の密室での人選に若手県議らが反発して、スッタモンダしていました。

 このため、元首相の福田康夫に裁定が委ねられましたが、若手県議らが「選挙で決めるべきだ」と主張し、参院議員の山本一太が右往左往して調整にあたりました。が、結局、事態の打開には至らず、10月中旬に、福田康夫が、中曽根弘文に会長を打診し内諾を得たのでした。

■しかし、前述の通り、自民党公認で福田派の大澤正明知事が初当選した2007年の知事選で、中曽根派の後援会幹部が小寺弘之を支援したため、自民党県連内部には「中曽根アレルギー」が根強く残っているはずです。一方で、福田派に牛耳られている中曽根派としても権力の味は忘れられず、「敵の敵は味方」と考えて、自民党出身者の多い民主党と組むことに特段の抵抗はなさそうです。

 こう考えてゆきますと、2009年11月上旬に、自民党県連の会長に選出された中曽根派の求心力ともいえる中曽根弘文が、本気で自民党の県連の一体感の構築に邁進するつもりなのかどうか、大変関心が持たれます。

■中曽根派の県政のシンボルだった小寺弘之が、民主党からの参院比例区出馬要請に、熟慮を重ねた挙句、「自分の政治感覚に一番近い党は民主党だ」などと言い始めて、出馬の意向を発表した背景には、当然、中曽根派幹部らとの協議を踏まえての決断があったと見るべきでしょう。

 となると、今夏の参院選群馬選挙区では、定員1名の改選数をめぐり、民主党現職の富岡由紀夫と自民党現職中曽根弘文が出馬することになり、中曽根派の選挙協力が勝利に不可欠な民主党現職の富岡由紀夫が当選するためには、新たな課題が生じます。

■しかし、この課題についても、当然、民主党と中曽根派との間で、調整がなされたものと見られます。

 小寺弘之が参院選出馬を表明した1月13日、高崎駅にあるホテルメトロポリタン高崎では、JAなど自民党を支持してきた団体の幹部ら、小寺知事時代の熱心な支持者ら30数人が小寺弘之の要請で集まり、支援の意思を示したからです。

■1月13日の上毛新聞によると、「小寺弘之は、小沢一郎幹事長との会談後、支持者に出馬を決断したこと報告。大きな拍車がおくられた。小沢幹事長は支持者一人一人に名刺を配り、県内での20万票の獲得を目標に掲げ、選挙戦への協力を要請した」と報じています。

 となると、今夏に予定されている参院選の群馬選挙区で、民主党現職の富岡由紀夫は、中曽根派の支援が得られなくなることになります。

■おそらく、今回の小寺弘之の民主党での比例出馬表明で、中曽根弘文は自民党県連会長としても、福田派の支援が得られにくくなり、富岡由紀夫も中曽根派の支援が得られにくくなり、ともに当選の確率に不安定要素を抱えながら、夏の参院選を迎えることになります。

 当然、それまでには水面下で調整が付けられるのでしょうが、もし、調整が付かない場合、中曽根弘文が当選すれば、富岡由紀夫は落選します。もともと富岡由紀夫は、民主党を二分する勢力の角田派(旧社会党、労組系)が公募で担いだ候補であり、落選しても、それなりのポストが民主党内であてがわれるものと見られます。

 他方、もし中曽根弘文が落選した場合、今回の衆院選での笹川尭と同様に、県連会長の座を降ろされることになりますが、落選の原因は、福田派の協力が得られなかったためだとして、福中の対立はさらに決定的なものになるかもしれません。そして、中曽根弘文は、これを契機に自民党を離れて、民主党から念願の衆院選に出馬できることになる・・・そんなシナリオさえ描けます。

■いずれにしても、民主党政権になっても、ここ群馬県の政界では上州戦争と呼ばれてきた福中の対立が形を変えて継続されるという見方が濃厚です。中曽根派と晴れて手を組むことになった民主党としては、八ッ場ダムの建設に邁進してきた小寺弘之にどのように懺悔をさせることができるのか。また、選挙協力を約した中曽根派としては、八ッ場ダム建設に伴う利権をどこまで確保できるのか。互いに、魑魅魍魎の思惑が渦巻いているに違いありません。

【ひらく会情報部】
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2010/1/18  11:14

投稿者:ひらく会情報部

>さくらさんへ

コメントありがとうございます。
小沢問題で検察が随分張り切っていますが、その背景には、米国の影さえ感じられます。
大変革には、一般市民の想像を絶する権謀術数がうごめくのが通例です。
また、ご指摘のように、検察を動かす力がナカソネ派にはあります。小寺前知事を民主に抱きこんだのは、まさか、それが目当てなのかどうか、真意はわかりません。
安中の51億横領事件でも、当会が東京地検特捜部に捜査着手を直訴しても、「この事件の管轄は前橋地検だ」として突き離されました。もちろん、地元の前橋地検がナカソネ派の仕業を暴くことは絶対にありません。
また、鹿島は、八ッ場ダム本体の入札でチャンピョンとなることが、ずいぶん以前から、ゼネコン業界では取りざたされています。
自民党の政治家は、これまでずいぶんでたらめな政治資金収支報告を出しても殆どお咎めがないのに、なぜ今回は検察が血眼なのか、そのうち理由が見えてくると思います。

2010/1/17  16:09

投稿者:さくら

欲の渦は、凄すぎますよね・・・。
12日の出馬表明会場には、あの 八ッ場の住民代表萩原さんも出席していたそうですね。
(表面的な報道のみしか把握していないモノには、大混乱的な 話ですよね〜。)
現在報道大注目の小沢一郎氏問題は、群馬県の代議士に対しての政治献金や 八ッ場の建設を受注している 鹿島についても話が出ておりますが
鹿島の話が消えてゆくようなら・・・今回の検察の動きの出どころは、なあんとなく 予測できちゃう感じですね(笑)。
笹川氏にしても、父やおじの時代からの田中氏との関連(問題)があり 今に至っていたりと 庶民にしてみれば、あくせく働きこつこつと税金を納めさせられている裏で
オメー達は、いったい いくら金を持ったら満たさせるんだよ??って、聞いてみたくなるような連中&世界ですね。
せめて、「あの世で 地獄におちないように。
がんばってね」くらいしか、庶民は言えませんが(笑)。

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