秋の日のため息をつく間もないウラジオストクにはやくも忍び寄る初冬の冷気(その1)  国内外からのトピックス

■ウラジオストクの夏と同様、秋もあわただしく過ぎてゆきます。9月後半と10月後半に再びウラジオストクを訪問する機会がありました。9月後半ではまだ気温が昼間は20度近くになりましたが、10月後半では、日中でも気温はせいぜい7度程度で、早朝はマイナス2度にまで下がります。わずか2か月前には海で泳いでいた市民が、早くもコートに身を包んで通りを歩いています。
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 空港から市内に向かう約50キロの道路は、2012年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議開催に向けて、引き続き突貫工事が進められていますが、まだまだ完成への道のりは長いように見えます。あちこちで立体交差のための高架工事や、道幅を片側3車線に広げるための造成工事が行われ、渋滞を引き起こしています。
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 取材班は、日曜日の現地時間午後8時に到着するフライトでウラジオストク空港に到着しましたが、日曜日の夜とあって、週末を別荘(ダーチャ)で過ごしたウラジオストク市民が一斉に帰宅する時間帯のため激しく渋滞しており、通常は50分程度で到着する市内中央部まで、1時間40分を要しました。

■この道路拡張工事の現場で、今年6月7日、495人分、約3.5トンの人骨が見つかり、工事に携わっている人たちを驚かせました。調査の結果、ウラジオストク市当局は6月15日に、それが旧ソ連スターリン時代に銃殺された粛清犠牲者のものであるとする鑑定結果を発表しました。

 昨年末に最初の人骨が発見された後、専門家や民間ボランティアが縦200m、横150mの区画を深さ2.5mまで掘って集骨し、鑑定作業を進めていたもので、当局の発表によると、人骨は主に25〜35歳の男性で、埋葬後50〜100年が経過しており、死因は頭部を口径9mmの銃で撃たれたことが判明したそうです。スターリン時代の弾圧で犠牲になった人たちとの見方が確認されましたが、時効で刑事立件はされず、再埋葬の時期や場所を検討している最中だそうです。

 スターリン時代の「政治犯」粛清の犠牲者はピーク時の1937〜38年だけで数百万人とされており、2007年10月には、モスクワの「赤の広場」近くで死後60年以上が経過したとみられる34体の白骨遺体が見つかっています。

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↑ロイター通信が今年6月に配信したウラジオストク近郊で発見されたスターリン時代の粛清犠牲者の遺骨や遺品の写真。

■ウラジオストク市内では、金角湾をまたぐ斜張橋の建設が進められていますが、ワイヤーを支える両岸の主塔の高さは、8月、9月以降、あまり伸びていないような感じです。

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工事の進捗が見られなくなった金角湾横断橋の主塔の高さ。10月19日撮影。

 情報によるとワイヤーの入荷が滞っている様子で、再来年の3月までの完成が再び危ぶまれます。もっとも、金角湾を横断する橋は、どちらかと言えば市民の生活用の意味合いが強いのですが、ウラジオストクの南に、海峡を隔てて浮かぶルースキー島は、APEC会場となるため、悠長なことは言っていられません。



 当会取材班は、今年9月下旬に現場近くで工事の進捗状況を視察しましたが、世界最大級の斜張橋の現場にしては、静かな感じがしました。

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ウラジオストク市のある半島側からルースキー島側を観る。9月20日撮影。
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↑主塔に続く道路橋桁を支える橋脚群。9月20日撮影。
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海から見た東ボスポラス横断橋の両岸の主塔。9月23日撮影。
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海から見たルースキー島側の主塔。9月23日撮影。
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海から見た半島側の主塔。9月23日撮影。

 ウラジオストク空港からAPEC会場のルースキー島に至るルートとしては、空港から一旦、西の方向に道路を伸ばし、アムール湾をコーズウェーで渡って、ウラジオストク市のある半島の東側の先端部から、東ボスポラス海峡を隔てて対岸のアムールキー島まで世界最大級の斜張橋で横断するものです。

■2008年1月、当時のプーチン大統領はAPEC2012の中心業務地区(Central Business District=CBD)の諸施設の配置プランと建設・都市計画コンセプトを承認しました。APEC会場はルースキー島のアヤスク湾に建設されますが、周辺インフラ建設など次の設備項目が挙げられています。
(1) 上下水道、ウラジオストックとルースキー島に跨る(処理容量25万トン/日、2系統配管)
(2) ウラジオストック・クネフチ国際空港の拡張・近代化(3000m滑走路+国際通関施設)
(3) 金角湾自動車横断道路(2.1km)
(4) ボスポラス湾自動車横断道路(3.1km)
(5) 空港・市内・ルースキー島間の高速道路(片道4車線)
(6) ルースキー島内のインフラ整備(道路、通信、電気、ガスなど)
(7) 会議開催のメインホール(4千人収容)、プレスセンター、ホテル施設(1万500人)、医療センターなどの主会場
(8) 船舶用ターミナル
(9) ウラジオストック市内整備事業

 一方、ロシア西部の黒海沿岸の保養地で有名な措置では2014年に開催予定の第22回冬季オリンピックにむけて建設ラッシュが起きていますが、東のシベリアの玄関口であるウラジオストクでは、2012年のAPEC首脳会議開催 に向けて、このような大規模開発が進行中です。

 前者の2014年の冬季オリンピック開催地としてソチが決定したのは2007年7月4日でしたが、ウラジオストクで2012年のAPEC開催が決定したのは、2007年9月5日〜9日にかけてシドニーで開かれたAPEC閣僚・首脳会議でした。

 それまではロシアでは欧州にばかり目を向けていたため、シベリアから西部への人口移動が止まらず、シベリアの人口減少が大きな問題となっていました。他方で、シベリアへの中国人の進出が顕著になっています。

■さすがに、このままではいけないと思ったのでしょう。また、シベリアの豊富なエネルギー資源は、経済発展が著しいアジア向けにロシアの存在を示せる格好のネタです。そこで、上記のように、2012年のAPEC首脳会議を契機に、巨額の投資を行って、旧ソ連時代は軍事閉鎖都市だったウラジオストクを極東の近代都市に変ぼうさせ、「欧州の窓」である東のサンクトペテルブルクに匹敵した「アジアの窓」を目指していると言えます。

 現在は、ロシア極東地方の行政の中心は、ウラジオストクとほぼ同じ人口規模のハバロフスクですが、恐らく近い将来にハバロフスクからウラジオストクにシフトされることでしょう。不凍港のウラジオストクを近代都市にすることで西太平洋でのロシアのプレゼンスを高めたいという強い意図を感じさせています。

【ひらく会情報部海外取材班・この項つづく】
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