2012/5/21  0:27

15年ぶりの長く厳しい冬から解放され若草が芽ぐむロシア沿海州の2カ月遅れの春(その3)  国内外からのトピックス

■ロシア沿海州で2番目に大きなナホトカ市は、ソ連崩壊以前は、閉鎖都市だったウラジオストクに代わり、ソ連極東地域最大の貿易港として栄えていました。今でも、商業貿易港として重要な港ですが、ウラジオストクに相当量の貨物が移っており、経済面での地盤沈下は否めません。その代わり、密集して坂だらけのウラジオストクに比べると、長閑でゆったりとした気がします。

 そのナホトカの港を見下ろす丘の上に立つロシア正教のフラム・カザイスカヤ・ボージャ・マーチ(カザンの聖母教会)については、以前当会のブログでも紹介済みですが、今回は、ナホトカの宗教施設をご紹介します。

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今年8月の完工を目指して内外装工事中のカザンの聖母教会。一番右の金色のタマネギのところが鐘楼。

■ロシアではクリスマスは12月25日ではなく、1月7日ですが、復活祭も今年は西側の教会(西方教会)が4月8日の日曜日だったのに対して、ロシア正教では4月15日の日曜日でした。
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聖母教会の前にある礼拝堂。教会が工事中の為、復活祭もっぱらミサはここで行っていた。
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礼拝堂の脇にある鐘撞き堂。
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屋根上のタマネギも屋根瓦も木製のブロックを組み合わせて作ってある。
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牧師助手の好意で、工事中にも関わらず中に入れてもらった。鐘楼からみたロシア正教の特徴ある十字架。
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こうやって片手に二本ずつ紐を持って4つの小鐘を操りながら鳴らす。ナホトカの春の空に冴え渡ったカネの音がこだまして行った。
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鐘楼の真ん中にぶら下がっている主鐘。
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鐘楼から見た風景(西側)。
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鐘楼から見た風景(南側)。
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鐘楼から見た風景(南側地上)。

 復活祭というのは、十字架にかけられ死んだキリストが3日後に復活したことを祝う日で、ロシア語でパスハと言います。ちなみにスペイン語でパスクアと言います。ラテン語と共通性のあるのがロシア語の特徴です。
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カザンの聖母教会の牧師助手から記念にいただいたイコン。日本のニコライ堂の由来もよくご存じだった。

 復活祭は毎年同じ日ではなく、春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日に行われます。因みに、来年は今年よりも20日ほど遅い5月5日です。ロシア正教にとって復活祭は数ある祭の中でも最も重要かつ特別な祭とのことです。とくに、復活の象徴として美しく彩色されたイースターエッグと呼ばれる卵が飾りとして使われます。また、ロシアでは長く寒い冬の後、春の訪れと共に祝われる復活祭は、とりわけ重要な祭りとなっています。

 残念ながら今回は4月15日にナホトカを訪問できず、1週間後の4月22日となりましたが、訪問した各教会の日曜日のミサでは沢山の老若男女が集っていました。
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ナホトカの古い教会でもらったイコンの裏のカレンダー。宗教行事予定がよくわかる。今年のパスハ(復活祭)が4月15日であることがわかる。

■ロシア正教では、パスハ(復活大祭)の前の7週間はヴェリーキー・ポストと呼ばれる精進の期間にあたっており、ことしは2月26日からでした。この精進期間中は、肉や卵、乳製品を一切口にできません。そのうち復活祭までの1週間は聖週間とよばれ、毎日いろいろな儀式が教会で行われます。中南米のカトリック教国でもセマナ・サンタ(聖週間)といい、この期間は絶対に畜肉は食さず、もっぱら塩干をして保存しておいた魚を食べる習慣がありました。

 このポストのもう1つ前の一週間がマースレニツァとよばれ、もともと、春を迎えるお祭りとして古くから祝われていたものが、後にキリスト教と融合して宗教的な意味を持つようになりました。西側では謝肉祭と言われる風習と同じです。これは、長い精進期間中、食事の種類が制限されるため、それに先立つマースレニツァで、盛大に飲み食いして陽気に歌い踊り、様々な遊戯を楽しむのがしきたりでした。現在では、精進期間中の制限を厳格に守る人はあまり多くはありませんが、マースレニツァの方は春を迎えるお祭りとして祝う風習が残っています。
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ナホトカ港のU字型の半島の先端部にあるナホトカでも古い教会。
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美しい装飾に彩られた教会の内部。
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礼拝所を参拝したら牧師から記念に貰ったイコンのカレンダー。

■ロシアの教会を訪れてみて感じたことは、信心深い人たちが多数いたことです。統計によると、1991 年のソ連崩壊時に人口のわずか3 割だったロシア正教の信者の数は、1997 年には5割、2005年には6 割を超えました。法律上もロシア正教は特別な地位にあり、政権とは密接な関係にあります。プーチン大統領も信者ということで、若者が多いのも特徴です。つまり、ソ連ができる前の帝政時代に戻ったということになります。

 ロシア人にインタビューをすると、自分のルーツについて非常に関心を持っていることがわかります。日本人にはそれぞれ戸籍があり、ふるさとがあり、先祖代々の墓や、仏壇や神棚に先祖を祭るという風習があり、先祖から受け継いだ古民家に住み続ける人も数多くいます。

 ところが、ロシアではソ連時代にイデオロギー優先社会となり、政府の思惑や都合で、大半の国民が広い国内を強制的に移動させられました。したがって、先祖代々の墓だとか家だとか、自分のルーツを探し求める手掛かりがなく、そうしたことのできる日本人社会を羨む気持ちがあるのは事実です。

 それだけに、ソ連崩壊後、自分のアイデンティティーを求めたいという欲求の一つのはけ口が宗教への回帰という現象になっているのではないでしょうか。

■ロシアでは、ロシア正教ばかりでなくいろいろな宗教があります。もともと多民族国家であり、旧ソ連邦だった中央アジアのイスラム教の地域からも極東に多数移住させられています。ナホトカにも幾つかのモスク(回教寺院)があります。そのなかでも、中心的なのが、ナホトカの入り口にある丘陵地の山腹にあるピカピカのモスクです。
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ナホトカで一番大きいモスク全景。

 まだ、毎朝昼晩コーランは流していませんが、一応1日5回の礼拝をおこなっているそうです。また、敬虔な信者向けに、ハラル(ハラールともいう)とよばれるイスラム教の教えに則って一定の作業で加工や調理された食品もその際に配布するのだそうです。驚くことに信者はここナホトカだけで1万2千人もおり、ナホトカの人口の約10人に1人はイスラム教徒ということになります。従って、モスクもあちこちにあるのだそうです。
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ミナレット(尖塔)とモスク本堂の上には回教のシンボルのムーンスターの飾り。

■また、古めかしいロシア正教ではなく、新興宗教としてのキリスト教徒も増えています。若い人が多く集っていましたが、話を聞くと韓国から導入されたキリスト教だということです。ナホトカの中央広場へ登ってゆく坂の手前にあったモダンな教会はまさか統一教会ではないのでしょうが、こうしてアジアの国の新興宗教がロシアに根を張っている様子を見ると、複雑な気持ちがします。
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新興キリスト教(韓国系か)。
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ミサの様子。
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暖房は韓国製の大型ファンヒーターで。

 こうした傾向は、保守的なロシア正教にたいするリベラルな人心の動きを示すものと言えるでしょう。

 いずれにしても、ロシアがソ連崩壊後、帝政時代に逆戻りするのか、それとも欧米化するのか、イデオロギー的思想が支配していた壮大な社会主義実験国家だったソ連から決別しつつあるのは事実です。

【ひらく会情報部・海外取材班】
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