2012/9/26  23:27

駆け足で過ぎ去った夏の名残りを惜しむ間もなく早くも紅葉の季節を迎えんとするロシア沿海州の秋(1)  国内外からのトピックス

■5月中旬以来、久しぶりにロシアの秋を取材しました。地元の人の話によると、今年のロシア沿海州の夏は、あまり夏らしくない季節で、雨こそあまり降りませんでしたが、どんよりと曇った日が多かったそうです。また、9月に入り、台風が日本をかすめたあと、2つほどやって来たことも、例年にないことだったそうです

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1500シベリア航空機成田T2で駐機中。


 日本では暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年もまさにそのとおりで、ちょうどお彼岸の日に成田を出発しウラジオストクに向かいました。東京は最高気温がようやく30度以下となりましたが、まだまだ暑い日差しが、ターミナルのラウンジに差し込んでいます。
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97番ゲート搭乗口。

 今年の春から成田とウラジオストクの間を週2便(土曜日と水曜日)結んでいるシベリア航空(通称S7)のエアバスA320型機は午後3時40分に成田を離陸しました。かなり込んでいて、ロシア人が6割、日本人が4割という感じです。夏休み休暇を日本で過ごしたロシア人家族や友人グループが多く見受けられました。
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1559成田空港第一滑走路離陸直前。
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1613夏雲が広がる北関東の上空。
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1619早くも簡単な機内食が配られる。
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1622新潟平野上空。この後佐渡の上空を通過。

 S7航空566便は、日本海上空をちょうど1時間で横断し、沿海州の一面森林だらけの上空を次第に高度を下げていきました。上空には積乱雲があちこちに見られ、雲を見る限り、まだ夏のような感じです。やがて、午後8時15分にウラジオストク空港に到着しましたが、地上の気温は20度あり、半袖でも問題ありません。
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1936(日本時間JST1736)沿海州の上空にはまだ積乱雲があちこちに立ち昇っている。
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1742白くつながって見える点は刈り取った牧草を詰めた白い袋の列。
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1945ウラジオストク空港着陸。新しいターミナルが見える。

■今月初め、ロシアのウラジオストクで初めて開催されたAPEC国際会議に間に合うように建設されオープンした新しい空港ターミナルで、入国審査と荷物の受け取りをしました。以前は、あらかじめ出入国カードに手書きで小さな枠に字を書き込まなければいけませんでしたが、今度は、パスポートとビザを自動読み取り機にかけて、印刷してくれるので、入国と出国の二か所に署名をするだけで済みます。また、入国審査のブースも以前は最大でも4か所しかなく、30分近く待たされることもありましたが、今度は8か所に倍増し、従来の半分の時間で済みます。
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1954今まではバスでターミナルの建物に向かったが今回は初めてボーディングブリッジでの降機。

 しかし、入国審査が早く済んだ分、荷物がターンテーブルから出てくるまでに待つ時間が長く感じます。

 空港ビルはドイツの企業が下請けで、地元の建設会社が施工したようですが、鉄骨にはコンクリートの汚れがこびりついたりしていて、細かいところは雑な仕事ぶりがうかがえます。しかし、ロビーは広々としており、以前の貧相な国際線ターミナルビルとは雲泥の違いです。

■そこからようやく日が暮れた道路をナホトカに向かいました。国際空港のあるアルチョム市へ向かう道の途中までは片側2車線の道ですが、それからは、デコボコ道となります。それでもアルチョム市からナホトカまで続く国道A188号線は、修理が割合行きとどいており、大きな穴はあまりありません。しかし補修を重ねているため、路面はかなりデコボコしています。
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2029新国際線ターミナルを出発。ナホトカに向かう。

 9時45分ごろウラジオストク空港を出発して約160キロの距離を2時間ほど突っ走り、夜中の11時にナホトカのホテルに到着しました。料金はちょうど3000ルーブルでした。

■夜は、ほどよく冷房が利いている感じで、今の季節、沿海州はほんとうに快適な時期です。
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道路脇の花壇のコスモスも盛りを過ぎた。

 9月23日の日曜日は、過ぎゆく夏を名残惜しむかのように海岸で海水浴をする地元住民の姿が見られました。
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ナホトカ郊外のツングースにある海岸。
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海岸で今年夏の最後の水遊び。

 その後、日に日に朝晩の気温は下がって来ていて、26日の水曜日からは日中の気温も16℃前後となり半袖だと涼しすぎる感じになりました。それとともに、山々の木々の一部が少しずつ黄色く色づき始めています。

■当会の平成24年5月22日のブログでも報告しましたが、ナホトカ市内では、4月に市内のナホトカ港を見下ろす高台の傾斜地にある日本人墓地の改修工事が行われていました。
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/768.html

 今回、当会の海外取材班は、改修後のナホトカ日本人墓地を参拝しました。
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見違えるように整備された追悼モニュメント施設。

 この日本人墓地は、平成24年4月下旬から、日本人兵士ら犠牲者の追悼メモリアルとして改修工事が始まり、5月12日に完成しました。整備費用約200万ルーブル(約490万円)は、全額ナホトカ予算で賄われました。この理由について、かつてソ連が対日宣戦布告した67年後の翌日にあたる平成24年8月10日に開かれた追悼式典で、ナホトカ市長のオレグ・コリャディン氏は「日露戦争では海戦で死んだロシア人が日本で手厚く埋葬された。第2次大戦では多大な犠牲者が出たが、人々が悲劇を記憶し、繰り返さないようにするためだ」と説明しました。
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石碑の後ろからモニュメント施設の入り口方向をみたところ。

 報道によると、この時の式典にはナホトカ市代表者のほか、在ウラジオストク日本総領事館の伊藤伸彰総領事が出席しました。伊藤総領事は「第二次世界大戦は日本史上最も悲惨な出来事だった」と述べ、総領事はナホトカのグラトキフ副市長と一緒に慰霊碑に献花しました。
http://japanese.ruvr.ru/2012_08_10/nahotoka-nihonjin-bochiato-memoriaru-kansei/
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一番最初に墓参したのは近所のペットのようだ。

 追悼メモリアル施設の敷地は2000u。花崗岩で囲まれており、中心には旧日本人墓地にあった石碑が慰霊碑として配置され、入口には仏塔と2つの灯明のあるコンクリートの門が設置されています。
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石碑は旧来のものを30mほど移設。
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もともと左手に見える木々の下に石碑があった。

■ロシアとの間には北方四島問題が横たわっていますが、韓国が強奪した竹島の問題や、中国が海底資源を目当てに強奪を狙う尖閣諸島の問題とは、事情が異なります。第2次大戦での終戦の決断のタイミングの鍵を握っていた日本側がメンツにこだわって大幅に遅らせてしまったことにより、結果的に被ってしまったシベリア抑留や北方領土の問題は、日本側がその不条理にいつまでも拘っていても、得をするのは日露接近を快く思わないアメリカや中国、韓国だけです。

 もちろん、ロシア政府に対しては、北方四島の歴史的経緯と証拠については末永く主張する必要があります。しかし返還時期については、ロシア政府の将来の方針転換に期待するしかなく、それには、両国政府間のみならず、民間交流や経済協力関係の積み上げが欠かせません。
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ホテル・ピラミッド脇の歩道。
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↑琥珀に閉じ込められた4千万〜5千万年前の昆虫やクモ類の展示会がホテル・ピラミッドの隣の市立博物館で開催中。入場料150ルーブル(約375円)。↑

■ロシアは日本に対して、歴史的には日露戦争、ノモンハン事変、太平洋戦争を経て、領土のやり取りを経て来ましたが、現状はロシア側としては全部手中に収めており不満がありません。

 ロシアは、また、中国とは長い国境を接しており、ダマンスキー島事件など領土を巡る戦闘もあり、一応鎮静化しているとはいえ、人口流入や経済圧力など潜在的脅威を感じています。

 ロシアは、北朝鮮とも一部国境を接していますが、2006年のミサイル失敗による沿海州沖合への着弾など、何をしでかすか分からない国として認識されています。

■こうした極東情勢を冷静に見極めて、中国や韓国のような国際ルールを無視する国々をけん制し、米国との対等な同盟関係を構築するためにも、我が国は隣国のロシアや台湾との連携を深めていく必要があるのです。

【ひらく会情報部海外取材班・この項つづく】
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